2004年の秋、カナダ・ノバスコシア州のハリファックス。
語学留学中だった私は、ある日、街の古い図書館の地下を歩いていました。薄暗い棚の間を通り過ぎようとしたとき、一本のオーディオテープが棚から落ちて、足元に転がってきました。
拾い上げると、こう書いてありました。
Jim Rohn — The Art of Exceptional Living
「ジムローン? 誰だろう。」
英語の勉強になるかもしれない。そんな軽い気持ちでチェックアウトして、アパートに持ち帰りました。
再生ボタンを押すと、低くて温かい声が流れてきました。おじいちゃんが孫に語りかけるような声でした。それが、ジム・ローンという人物でした。
アメリカを代表する自己啓発の思想家で、あのトニー・ロビンスの師匠でもある人です。
テープの内容は、哲学や人生についての話でした。「環境が人を変える」「収入は成長の結果だ」「あなたは付き合う5人の平均になる」——そういった言葉が、次々と耳に届きました。
それから私は毎日、語学学校への通学途中にこのテープを聴くようになりました。29歳で仕事を辞めて結婚したばかりの妻を連れて語学留学をしていた私に、大切なことを教えてくれているような気がしていました。歩きながら、バスに乗りながら、繰り返し聴きました。
そのなかに、こんなお話がありました。
ガールスカウトのクッキー
ジム・ローンが25歳のとき、一人の少女が自宅のドアを叩きました。
ガールスカウトのクッキーを売りに来た女の子でした。値段は2ドル。
ローンには、その2ドルがありませんでした。
——正確に言えば、なかったわけではありません。でも、その時の彼は2ドルさえも渡せる状況ではありませんでした。それほど、彼の生活は追い詰められていました。
少女は笑顔でクッキーを差し出していました。
ローンは言いました。「ありがとう、でも家にもうたくさんあるから」。
嘘でした。
少女は「そうですか」と言って、笑顔で帰っていきました。
ドアを閉めた後、ローンはその場に立ち尽くしました。2ドルすら持っていない自分。それを子どもに隠すために嘘をついた自分。その惨めさと恥ずかしさが、彼のなかに静かに積もっていきました。
「このままではダメだ。」
その日の出来事が、ローンを変えるきっかけになりました。後に彼は師匠と出会い、人生を変え、世界中で何百万人もの人々に影響を与える存在になっていきました。
私はこの話を、ハリファックスの冬の朝、バスの窓から雪景色を眺めながら聴いていました。
そしてその時は、まさか10年後に自分も同じ経験をするとは、思っていませんでした。
2つの会社と、2つの限界
帰国した翌年の2006年から、私は「ハリファックスサポートセンター」という留学斡旋の会社を名古屋で始めました。
そして同時に、語学留学で得た英語講師の知識と資格を活かそうと「英会話トップランナー」という英会話スクールも地元の名古屋で経営し始めました。
2つの会社を同時に動かしながら、英会話スクールでは平日夜も土日も自分が教室に立ってレッスンをしていました。小さかった子どもたちと過ごす時間はほとんどなく、売上は上がらず、疲弊だけが積み上がっていきました。
今振り返ると、経営者としてのスキルが完全に追いついていませんでした。やりたいことを始めて、2つも会社を動かそうとしていた。完全なオーバーフローでした。
その疲れとストレス、低収入のピークに達していたのが、2014年ごろのことです。
「ごめんごめん、忙しいあんた達に」
そして2015年のある日、母親が心筋梗塞で倒れました。
知らせを聞いて、病院に駆けつけました。病室のベッドで横になっている母親を見た瞬間、胸がつかえるような感覚がありました。
点滴をつながれた母が、私を見て言いました。
「ごめんごめん、忙しいあんた達に面倒かけれんのに、こんなことになっちゃって悪かったね。」
私は返す言葉が見つかりませんでした。
母親は「ごめん」と言っていました。倒れたことを謝っていました。
でもその言葉を聞きながら、私の頭の中を占めていたのは別のことでした。もし今、高額の医療費が発生したら——払えるはずがない。経営者として何年もやってきたのに、結婚して、自分も親になり、会社経営もしながら、何にも出来ない自分。それが現実でした。
そのとき、ジム・ローンのクッキーの話が頭に浮かびました。
クッキー代の2ドルを払えず、子どもに嘘をついて帰らせた若き日のローン。私の状況は、まさにそれでした。形は違っても、本質は同じでした。自分が情けなかった。
もう一つの出来事
その頃、妻は精神的に追い詰められ、安定のために薬を飲んでいました。
3人の小さな子供を育てながら、安定しない収入。私が経済的なプレッシャーをかけ続けていたから、だと今では分かります。
ある日、妻から電話がかかってきました。パニック状態の声でした。
「カバンに入れていた私の薬を、ゆきちゃん(長女・当時2歳)が飲んじゃったかも知れない!」
幸い、事なきを得ました。でも電話を切った後、私は長い間、その場から動けませんでした。
怒りではありませんでした。自分への、深い悔しさと情けなさでした。
そもそも自分がしっかりしていれば。妻があんな薬を必要とするような状況を作らなければ。2歳の娘がそんな危険にさらされることもなかった。
「このままではダメだ。」
ジム・ローンが25歳のドアの前で感じたのと、まったく同じ言葉が、私の中に響いていました。
決断
私は英会話スクールを閉めることにしました。
失敗だと、認めました。
信頼して入学してくれた約100人の生徒さん皆さんに謝りました。雇っていた日本人の先生にも謝りました。
簡単な決断ではありませんでした。でも、覚悟が決まると、不思議なほど頭が澄んでいきました。
留学の仕事一本に絞る。全てのエネルギーを、そこだけに注ぐ。
それだけを決めました。
そこからホームページを自分で作り始め、高校留学の仕事を本格的に動かし始めました。東京や大阪で留学相談会を開催しました。名古屋から夜行バスで東京へ行き、一泊3000円のカプセルホテルに泊まり、東京駅付近のカフェで留学カウンセリングを毎月行いました。
少しずつ、でも確実に。会社が成長していきました。
それから10年後、現在、私はカナダに支社を設立し、ウィニペグに家族で移住しました。3人の子どもたちは今、カナダの学校に通っています。
ロックボトムについて
ジム・ローンはよく「ロックボトム(どん底)」について語っていました。
人が本当に変わるのは、「もうこんな生活してられない」「こんな生き方したくない」「こんな自分でいたくない」と思ったときだ、と。
心地よい不満の中にいる間は、人は動きません。本当に恥ずかしくなったとき、本当に情けなくなったとき、本当に「このままではダメだ」と感じたとき——そのときはじめて、人は動ける。
ガールスカウトの少女に嘘をついた瞬間が、ローンを変えました。
母親の「ごめんごめん」という言葉と、妻からのパニックの電話が、私を変えました。
人それぞれの、クッキーの話があると思います。
もし今、あなたが何かに追い詰められているとしたら、それはもしかしたら、変わるための入口かもしれません。
ロックボトムは、終わりではありません。出発点です。ジムローンがそう言っていました。そして私も、そう思っています。
もしあなたが今、留学を通じて、英語習得を通じて、自分を変えようと思うなら、私はそんなあなたのことを心の底から応援したいと思っています。あの時の自分を思いながら。
参考:Jim Rohn "The Art of Exceptional Living"(オーディオプログラム)
